日本でお茶を広めた人物、栄西とは? 鎌倉時代から南北朝時代

コラム

日本にお茶が入ってきたのは奈良・平安時代と言われますが、大変な高級品で一般に広まることはなかったのだとか。鎌倉時代に入り、お茶の伝道師・栄西が登場します!栄西によって日本茶は大きく進化することに。栄西の足あとをたどってみましょう。

臨済宗の開祖 栄西(えいさい)とは?

明菴栄西(みょうあんえいさい、ようさい)は平安~鎌倉時代の禅僧で、日本臨済宗の開祖にあたります。鎌倉幕府をひらいた源頼朝の一周忌で導師をつとめ、北条政子が建てた寿福寺の住職に就任、二代将軍・頼家のために建仁寺を建てるなど、鎌倉幕府にとって重要な地位にいたことがわかりますね。

当時の中国・宋で禅仏教を学び、禅宗のすばらしさに感じ入った栄西は、日本での布教を決意。そのときに使われたのが、お茶なのです!宋では禅僧がお茶を飲んで心をととのえる「茶礼(されい)」という儀式がさかんに行われており、茶礼を三代将軍・源実朝にすすめたところ、これが大ヒット。

お茶と一緒に献上した『喫茶養生記』と合わせ、またたく間に武士たちにひろまりました。栄西とお茶、禅宗とお茶は切っても切れない関係になり、栄西は茶の始祖と呼ばれるように。禅宗では現在も茶礼を行っているそうです。

臨済宗(りんざいしゅう)とは?

臨済宗とは、中国の禅宗のひとつ。中国には「禅宗五家」と呼ばれる大きな禅宗派が5つあり、日本では曹洞宗も有名です。

禅とは仏教の一宗派。開祖は「達磨大師(だるまたいし)」として知られています。座禅(ざぜん)を組んで修行を行う姿勢から「禅宗」と呼ばれるようになったんだとか。達磨大師の死後、禅宗は数十年をかけ五家に分かれていきます。

唐末期の臨済によって始まった臨済宗は、師匠から弟子へと受け継がれるもの。知識にたよらず悟りをひらくことが重要なので、秘伝書がないといわれます。その代わりに「公案体系」と呼ばれる問答集がうまれました。日本でも「禅問答」と呼ばれることがありますね。

禅問答というと「意味のわからないやり取り」と思う人も多いかもしれませんが、本来の公案体系は、臨済宗の弟子が悟りをひらくきっかけになるもの。お茶もまた、悟りをひらくために重要なアイテムとなっていきます。

栄西がひろめた茶礼とは?

座禅を組み、長時間自分自身と向き合う禅僧にとって、お茶は眠気覚ましの一種だったと考えられます。緊張感をキープし、集中力を高めるための神秘的なアイテムです。きっとお茶のパワーで悟りにグッと近づいたことでしょう。

いっぽう当時の武士たちにとって、し好品といえばお酒。今のようなお菓子やジュースがない時代、お茶はまさにニューウェーブだったのです。お酒を飲んでいると、人はつい、だらしなくなってしまいがち。そんなところにお茶が登場し、酔いを覚ますのにピッタリ、おまけに体によい、ということで、大いに流行したのでしょう。

当時のお茶は、今でいう抹茶に近いものでした。蒸した茶葉を細かく砕き、お湯を加えて茶筅(ちゃせん)で混ぜて飲んでいたんだとか。栄西が実朝にお茶と『喫茶養生記』を献上した様子は『吾妻鏡』にも記されています。

栄西が書いた『喫茶養生記』とは?

宋にわたり、禅宗とともに茶礼を勉強した栄西。両者を共にひろめるべく『喫茶養生記』という医学書を書きあげます。これによるとお茶は、人間の内臓をきたえ、寿命を延ばす薬なのだとか。

お茶の種類や作り方、お茶の効用などが記されているほか、桑にも着目。お茶や桑による病気の治療法を紹介しながら、健康管理の必要性を語っています。時代が下ると茶人のバイブルとしてあがめられるようになるのです。

当時、病気の治療といえば、まだまだ祈祷(きとう)が主流でしたが、喫茶養生記は医療に一石を投じた格好になります。実用的な医学が始まるきっかけにもつながりました。

ちなみに喫茶養生記が登場した『吾妻鏡』ですが、こちらは鎌倉時代に書かれた歴史書。源氏の頼朝をはじめとする鎌倉六代将軍までのことをまとめてあります。日記風の文体で、あたかも事実をそのまま書いているようですが、実は北条家寄りの目線なんだとか。実朝はじめ源氏三代にはかなり手厳しい口調だそうです。

お茶とお寺の密な関係

同じころ、栄西以外にも茶を推奨した修行僧がおりました。明恵上人は華厳宗をまなび、広く布教します。栄西から茶の種を譲り受け、京都の高山寺に茶園を作ったのだとか。

こうして、お寺が茶園を持つ状態が全国的に増えていき、茶礼から茶道へと進化していくことになるのです。鎌倉時代が終わり、南北朝時代がはじまると「闘茶」が流行。闘茶とは、お茶を飲み比べて産地を当てる競技です。

闘茶は現代にも受け継がれ、「茶歌舞伎」と呼ばれているのだとか。栄西はたしかに、日本茶のルーツと言える人物ですね。栄西がいなかったら、今の日本茶は存在しなかったかもしれません。

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