実は日本だけ!横手型の急須についてのお話。

コラム

紅茶をいれるティーポットや、ウーロン茶を入れる茶壷は、注ぎ口と持ち手が一直線になっており、後ろ手と呼ばれる形状です。注ぎ口の反対側、真後ろに持ち手がついています。

世界的に見ても、ヤカンやポットの多くは後ろ手のものがほとんど。しかし日本茶を入れる急須は「横手」と言われる独特の形状です。なぜ急須だけが横手型なのでしょうか?

急須の特徴

急須(きゅうす)は、茶葉を入れてお湯を注ぎ、お茶を抽出するための道具です。注ぎ口から見て右側に持ち手があることが多いですね。注ぎ口と持ち手の角度は90度程度になっています。

急須によく似たものに土瓶(どびん)がありますが、こちらは持ち手が上にある上手型。ヤカンやポットなど、お湯を沸かすものには上手型と後ろ手型があります。取っ手のない宝瓶(ほうひん、ほうびん)は、ぬるめのお湯を使う玉露などに適しています。

どうも、急須のような横手型の道具は珍しいようですね。

急須のルーツとは?

急須はもともと、中国でお酒を温めるために使われた「急須(キフス)」でした。宋の時代(960~1279年)にはすでに存在していたといわれています。

また、お湯をわかすための「急焼(キプシュ)」も、急須同様、横手型の道具です。現在も長崎や福岡、埼玉の一部の地域では急須を「きびしょ」と呼んでおり、急焼からきているんだとか。

急須そっくり「ボーフラ」とは?

急須とよく似たものに、ボーフラ(ボウフラ)があります。ボーフラは煎茶道特有のもので、お湯を沸かすための道具。急須と同じ横手ですが、素焼きのことが多く、まろやかなお湯を沸かすことができます。

ボーフラはお湯を沸かすためだけに使うので、茶こしはありません。素焼きのボーフラは取り扱いが大変デリケートで、壊れやすいんだとか。しかし素焼きだからこそ加工が少なく、大量生産に向いていました。

江戸時代初期に中国から大量に輸入され、「abóbora(アボーボラ)」によく似ていたことからボーフラと呼ばれるように。 abóboraとはポルトガル語でカボチャのこと。たしかにコロンとした丸いフォルムはカボチャそっくりです。

ちなみに煎茶道とは、急須と茶葉を使って煎茶を入れる茶道のこと。いわゆる抹茶を点てる茶道・茶の湯と区別して煎茶道と呼びます。

煎茶道ではボーフラはあくまでお湯を沸かす道具。別に急須を用意しておき、ボーフラからお湯を注いでお茶を入れます。

急須でお茶を入れるようになったのはなぜ?

急須は、お湯を沸かしたり、お酒を温める以外にも、薬草を煎じたり、おかゆを炊いたり、といった使われ方をしていたようです。

急須が日本に入ってきた江戸時代、日本ではお茶を煮出して飲むのが主流でした。そのためお湯を沸かすための急須はお茶を煮出して飲むのにピッタリだったのでしょう。

お湯を沸かすための道具と言えば、ほかにも土瓶、ヤカンなどがあります。急須と比べると容量が大きく、急須の方が手軽ですね。お茶用に急須が選ばれたのは当然な流れだったといえそうです。

急須を流行させた売茶翁とは?

売茶翁(ばいさおう、まいさおう)とは、江戸中期の仏僧・柴山元昭のこと。若いころは禅宗の修行に明け暮れ、晩年はお茶を売り歩きながら禅宗を広めたといわれます。

当時、お茶は庶民が飲めるようなものではなく、高級なし好品でした。長崎で煎茶を学んだ売茶翁は、京都・鴨川で日本初の喫茶店「通仙亭」を構えます。

それでは飽き足らず、自ら茶道具をたずさえて、江戸に、京都に、日本各地へ観光がてらにおもむいて、ほうぼうでお茶を売りさばいたんだとか。売ると言いながらお金を取らないこともあり、本当の目的は禅の教えを説くことだったようです。

この売茶翁が好んで使ったとされるのが急須です。禅の教えと共に、お茶と急須を日本に広めた人物として伝わっています。

国産急須の始まり

売茶翁が使った急須はすべて中国産のものでしたが、中国産の急須は大変高額なものでした。とても庶民に手を出せるものではなかったことから、国内でも急須の製造が始まります。

ついでに茶こしがついていればお茶を入れやすい!…ということで、現在のような急須へと進化していくのです。

日本で初めて急須を作ったと言われる清水六兵衛(きよみずろくべえ)は、売茶翁の依頼により中国製急須をモデルにした「売茶翁形」急須を作りました。以降、国産急須は独自の発展を遂げていくこととなります。

お茶専用の急須誕生

急須でお茶を煮出していた江戸時代中期、お茶に革命が起こります。「煎茶」の発明です。

煎茶は色、香り、味がよく、煮出さずにお湯を注ぐだけでお茶を入れることができます。煎茶は手軽さ、美味しさから、江戸を中心に大流行。現在の煎茶にかなり近いものが完成したのです。

煎茶の誕生により急須でお茶を煮出すことはなくなり、沸かしたお湯を急須に注いでお茶を入れるようになりました。こうして急須はお茶専用の道具となったのです。

現在、中国では急須、急焼はほとんど生産されていないようです。逆に日本の横手型急須の人気が出て、逆輸入されています。その理由は「珍しい形をしているから」。もともと中国にルーツがある急須ですが、物珍しさから逆輸入されるとは、歴史の流れは面白いものですね。

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