言わずと知れたお茶の名産地静岡県。生産量・生産面積ともに日本一と日本で一番のお茶の産地です。
その中でも名の知れた県内の産地として『牧之原台地』があります。今回は、その牧之原をご紹介していきたいと思います。
チャの木が育つには
そもそもお茶が育ちやすい土地としていくつか条件があります。
チャの木を育てる為には、比較的温暖な気候で年間の降水量が1300〜1500mm以上必要。さらに多くの植物は中性から弱アルカリ性の土壌に生育しますが、チャは弱酸性の土壌を好みます。
さらにチャの木は霜などにも弱かったりと植えればどこでも育つというわけではないということです。
茶の栽培に適している牧之原
牧之原台地は、静岡県の島田市、牧之原市、菊川市をまたいだ大井川下流域と菊川に挟まれた静岡県中西部にある台地です。
上記の生育条件を踏まえてお話ししますと、牧之原台地は、石が多く水はけが良い赤土の弱酸性の土壌です。
さらに日照時間も長く温暖な気候であることから良質な茶の栽培に適しているということなのです。
静岡県の中でも早く新茶が採れるとされ、4月中旬には新茶が採れます。現在の茶園の広さは、牧之原市内だけでも約2,610ヘクタール、全体で約5,000ヘクタールもあります。東京ドーム約100個分です。たくさんの茶が栽培されているということです。
今でこそたくさんのお茶が育ってはいますが、歴史を見ていくとかなり苦労のあった土地のようです。
牧之原台地が茶の名産地になるまで
もともと江戸時代までは、未開拓の原野が広がっていました。さらに人里離れた台地ということもあって、農業用水も生活用水も確保することが困難な地でした。
徳川家の家臣達が開拓
1867年15代将軍徳川慶喜は、大政奉還によって今の静岡市に隠居します。そこに同行していた護衛の家臣達はのちの版籍奉還によって職を解かれることになります。
そこで1869年に中條景昭を隊長とした士族300人が当時荒れ果てていた牧之原台地を茶畑として開墾することを新たな職として始めたのです。
当時の静岡ではすでに茶は輸出品として重要で、すでにいくつか茶産地がありました。士族たちに刺激を受けた農民たちも跡に続き牧之原台地は茶園面積をどんどん増やし、立派な茶の産地となったわけです。
深蒸し製茶法を開発
深蒸し茶で有名ですが、そもそもその製法は、牧之原の茶の弱点を克服する為に生まれたようです。
牧之原のお茶は、通常の蒸し時間で製茶すると苦み、渋みの残るお茶になってしまいました。そこで製茶時の蒸し時間を長くすることによってその苦み、渋みが緩和され旨味とコクのある美味しいお茶に仕上がる深蒸し茶が誕生したわけです。
おわりに
今では「やぶきた」はもちろんの事、「つゆひかり」や「さえみどり」など新たな品種の栽培にも取り組み、静岡県内の茶の総生産面積の約三分の一が牧之原台地とされています。
それも徳川家の家臣達が職を解かれていなかったら、荒れ果てた牧之原台地を開墾する事もなく静岡自体が茶の産地として大きく成長していくのももっと遅くなっていたかもしれませんね。
牧之原で作られる茶は、当時の士族や農民の努力の賜物というわけです。そんな彼らに想いを馳せながら牧之原のお茶を飲んでみてください。